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スタッフブログ

2016年09月18日

地元の話

カープ優勝で歓喜しているのは私です。

長尾 惇平です。

 

ということで地元の話です。

冒頭にも書きましたが、地元のプロ野球球団

「広島東洋カープ」が25年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

うれしいですね。本当にうれしいです。

私たちの世代は強い時のカープの時代をほとんど知らず、

万年ブービーの広島カープ。

珍プレー好プレーでは

珍プレーに登場し、好プレーでは相手側。

もはやプロ野球界の当て馬役。

チームの財政難には樽募金で資金を集め、

年棒が低いから良い選手はチームから離れてしまう…

 

25年前は私は7歳でカープのファンというよりも

市民球場でみんなで野球を見るのが子供ながらに楽しかったです。

その当時は

ミスター赤ヘル「山本浩二」監督の下

正田、野村(前広島監督)、前田、江藤、達川、佐々岡、北別府、大野(前ピッチングコーチ)

語りだせばきりがないほど選手の名前が出てきます。

その後も金本(現阪神監督)や緒方(現広島監督)が山本監督の下活躍をします。

そして、炎のストッパー「津田恒実」

この人がいたからカープは強くなったんです。

詳しくは「津田恒実」で検索してください。

だめです。名前を書いてるだけで泣けます。

 

この赤ヘルDNAは間違いなく今年のカープに受け継がれています。

カープに転機が訪れ始めたのは

2006年にマーティ・ブラウンが監督就任したあたりからです。

黒田がメジャーにチャレンジするなど、非常に難しい時期です。

チームは決して強くなかった時代ですが、

ファンを愛し、チームを愛したブラウン監督は広島カープをどんどん有名にしていきます。

梵の成長やマエケンの成長を支えたのもブラウン監督です。

カープのファンを取り込む戦略が軌道に乗り始めます。

そして、市民球場の取り壊しとマツダスタジアム建設が決まります。

 

広島県民の期待が膨らむ中、

マツダスタジアムが完成します。

その際に就任したのが1991年の優勝を経験した

「野村謙二郎」監督なのです。

ブラウン監督が強くした若手を活躍できるだけに成長させ、

就任4年目にクライマックスシリーズに出場させます。

このころからカープを応援する若い女性が増え

「カープ女子」と言われるようになりました。

全国どの球場にもカープファンが増え、球団も潤ってきます。

 

野村監督から緒方監督へ変わった2015年

黒田がメジャーから帰ってきました。

新井が地元に帰ってきました。

う~。泣けます。

もう優勝しかなかったです。

しかし、打線が振るわず、2015年は4位。

マエケンがメジャーにチャレンジして、今年はどうだとおもっていました。

 

けど、この優勝は必然でした。

1991年の時の勢い。投手王国広島の再来。

1991年に「ツネ(津田恒実)のために勝とう」と言って優勝した勢い。

山本監督から繋がれる監督たちが築き上げたチーム。

2016年に「黒田さんのために勝とう」と新井がけん引したチーム。

 

優勝が決まって黒田と新井が抱き合っているときには号泣です。

 

本当に良かったです。

ここ最近は待ちゆく人にも

「おめでとうございます。」と言われます。

※カープのキャップをずっと愛用している為

 

なんか「おめでとうございます。」とファンが言い合えるチームいいですね。

私このブログ書きながら涙がぽろぽろと。

カープはドラマが多すぎて。

「津田恒実」「黒田博樹」は涙なしには語れません。

調べてみてください。

広島カープファンのみなさんおめでとうございます。

 

ということで地元の話でした。

では。

長尾 惇平

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